兆候は一切なくても血液検査には明確に出る。

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血液検査の体験談 

今から10年前のことです。
私の亡くなった父の話になります。
10年前からさらに遡ること5年、母が亡くなり、父は一人で暮らしていました。
父の住む私の実家は、私たちの住む家から10分くらいの所にあり、一人で暮らしているといってもまさに味噌汁の冷めない距離でした。
まだ、その頃父は仕事をしておりましたが、役員となり仕事量も昔と違いずいぶん減らしていたのです。

 

昔は海外へ飛び回り、家にはほとんどいなかったため、たまに父が家にいるとどう接したら良いのかとまどったものでした。
父はまだ、その頃は60代中盤で十分体力がありました。

 

母が亡くなったしばらくは、元気がなく大丈夫かと心配もしましたが、その頃はまた、海外にも赴くことも増え今までどおりの生活がゆっくりと回り始めていたのです。
ちょうど、新学期が始まり、中学生の長男長女と小学生の次男と忙しくバタバタしていました。

 

そんなとき、仕事の帰りにプラリと土産を持って立ち寄ったのです。
いつものように軽く晩酌をしながら、一緒に食事をした後かたづけを済ませ一息ついた私に向かって「今日、この前した血液検査の結果が出てな、何故か貧血の数値が高く再検査をすると言われたんや。」とポツリとこぼしたのです。

健康診断書

「えっ?何?貧血?!っておじいちゃんが?フラフラしたりするの?!」そう言う私に、
「いや。全く。階段を駆け上がっても息切れ一つしない。」
「そうやんな。この前もゴルフ行ってきたやんな。」
「ワシもなんかの間違いじゃないか。と言ったんやけど、どうも今回の血液検査の数値上内臓のどこかが出血しているかもしれないらしいと、言われたんや。」
その言葉で、始めて今回の血液検査の結果がただごとではない気がして、2人でインターネットで調べたのです。






確かに、貧血の数値ヘモグロビンの数値が通常13?16g/dlが男性の平均的な数値とされているのに対して、父の値は9g/dlと低めだったのと、他の血液検査の結果から内臓のどこかが出血しているかもしれないとの見解だったのでしょう。
とりあえず疑われたのが、胃と大腸からの出血でした。
もしかしたら、大腸ガンか母と同じ胃ガンかも?!不安がよぎりました。

 

「でも、食欲もあるからな。まあ、母さんが死んでから検査してなかったからこの際やっておくよ。」
そんなふうに、父と話したのを思い出します。

 

もし、大腸ガンや胃ガンならまだ初期かもしれないから……。そんなふうに少し楽観的に考えていたのかもしれません。
それから、何日かして父は会社の近くの病院で大腸と胃の検査を受けましたが、どちらも全く異常がみられませんでした。

 

そうなると、次に疑われるのは血液の病気になると主治医が告げ今度は自宅近くの大きな病院に行くように言われたのです。

 

会社から自宅までは1時間近くかかるため、自宅近くの病院の方が何かと便利だろうとの配慮もあったのでしょうか、それとも、血液検査の結果から父の体にすでに怖い病気が隠れていることがわかっていたのでしょうか。
自宅から15分ほどの所にある大きな病院に行くことにした父。

 

その日は、我が家まで自分で運転してきました。
私は、暑い初夏の日のことで、ノースリーブのニットに白いパンツを履いていて何だかこれから病院に行くようには思えないなあ、と自分でも思っていました。

 

でも、母の病院に行くときもいつも気持ちが滅入ってしまわないように、できるだけ綺麗な格好をするようにしていたため、病院に行くとなるとついその癖が出たのかもしれません。
父が運転する車に乗り込み、他愛もない話しをしていると大きな病院が見えてきました。
何となく病院を前にすると体に力が入ってしまいました。

 

病院では血液内科を受診するように言われていたため、血液内科のあるフロアーに行くと、たくさんの人が待合室に座っていました。
こんなにたくさんの人が血液の病気なの?!
血液内科という科があることすらしらなかった私は驚いてしまいました。

 

 

血液内科の受付では、最初に採血をするように言われた父は「今月、何回血を抜かれるんやろ。」そう言って検査室に入っていきました。
すぐに出てきて、採尿に行った後は結果が出るまで時間がかるため食事にいっておいてくれとのことでした。
朝から何も食べていない父は、空腹を訴えていました。

 

こんなときに食欲があるなんて……。そんなに心配することではないかも。
私の心配をよそに父はスタスタと食堂へ向かい、券売機の前でメニューを決め出しました。
「お前は何にする?わしは山かけ蕎麦にしようかな。」
そんなやりとりをして食堂で早めの昼食をとりましたが、正直どこに入ったかわからない状態でした。
病院のエアコンが強すぎるのか、それとも緊張しているからかノースリーブを着てきたことをとても後悔した記憶があります。
お気に入りのノースリーブのニットだったのにあの日以来見ると思い出すので友達にあげてしまいました。

 

血液の病気

食事を済ませて待っていると名前を呼ばれ診察室に2人で入ると、40代くらいの医師が座っていました。
血液検査の結果を見ていた顔を上げて座るようほどこされました。
「血液検査の結果が出ました。で、結果ですが……。」
言いにくそうに、それでもはっきり結果を言われました。

 

「貧血の数値がかなり高いのと、血清免疫グロブリンの数値が上昇しています。Mタンパクというのがありまして……。あっ、大丈夫ですか?」
いきなり聞き慣れない血液検査の用語を並べられたのと、血液検査の結果のヘモグロビンのところに赤のペンでグルグル印がついているのがやたら気になってしまって医師の説明が耳に入ってこなかったのです。
医師はソワソワとしているように感じました。

 

「お父さんはこちらで横になってもらって、今から骨髄穿刺といって骨髄液を採取します。これによって骨髄細胞がどの程度悪いか見極める検査ですね。」
「あの、つまり父は骨髄の病気だということですか?」
私がそう聞くと、となりのベッドで準備している父の方をちらりと見て、カルテをもう一度見て、「告知希望となってますが、大丈夫ですね?」と確認した後
「多発性骨髄腫です。」
「えっ……。多発性骨髄腫?」
「多発性骨髄腫。」
「それって、つまりはガン……?ですか。」
「ハイ。血液のガンです。治療法は抗ガン剤、骨髄移植になりますが、お父さんは若いので骨髄移植をされた方が良いですね。」

 

 

テキパキといきなり治療方法の提案をされてもまだ全く受け入れられませんでした。

 

呆然としてる私に、看護師さんが何か言ってくれたようで、
「とにかく、今日の血液検査と骨髄穿刺の結果が1週間後出ますからそのとき決めましょう。」
そのように言われたのです。

 

「あの、もう多発性骨髄腫には間違いないのでしょうか?他の病気は考えられませんか?」そう言ったけど、
「血液検査の数値が多発性骨髄腫を疑われるに値する数値なのです。今調べるのは、骨髄のガンがどのくらい広がっているのか、治療の仕方をどうするかということが知りたいのです。」
血液検査のデータを見せながら、グルグルと赤いペンで骨髄腫のときに出てくる血液検査の数値のところに印をつけながら早口で説明を続けました。

 

血液検査のある数値を見ただけで血液のガンがわかるなんて、他のガンのように手術をしてガンの広がりを告げられたわけではないため、ピンとこなかったのが正直な感想でした。
どこか他人ごとのような、でも血液検査のデータの上には父の名前が書かれている……。
間違いじゃないのか?

 

こんなに元気なのに。
採血のとき誰か別の人の血液と取り違えられてないか。
そんなことが頭の中でグルグルグルグル回っていました。
隣のベッドで私と医師との会話を聞いていた父は、もっとピンとこなかったと思います。
頭が良く、医療のことも良くわかっている父、それでもあまりにも簡単に病気が分かり、しかも何の症状もないまま重篤な病気を宣告されたのですから。

 

帰りはさすがにショックで車の運転はできるような状態ではありませんでした。

 

血液内科の医師が渡してくれた血液検査の結果のデータと説明のメモをいつまでも眺めていました。

 

それから、1週間後主人と私そして父の3人で骨髄穿刺の結果を聞きに行くことにしました。冷静に聞いてくれる主人が一緒だと少し気持ちが楽になりましたが、告げられた結果は多発性骨髄腫のステージIIIだったのです。
治療をしなければ余命1年だと告知されさらに愕然としてしまったのです。
決定的な結果が下されるまでの1週間は、慌ただしく、インターネットで調べたり、免疫療法をする病院へ連絡したり、とにかくやれることはやったように思います。
父は骨髄移植はしないと告げました。
年齢的にも1年間の骨髄移植はかなりのリスクがあり、生命の危険も覚悟するよう医師から言われたのです。
「そんな一か八かはかなわん。自分の体やから自分で責任持つ。」そう言ってセカンドオピニオンで一般的な抗ガン剤治療と免疫療法に決めました。
そこでも、また血液検査が念入りにおこなわれました。
「血、無くなるん違うか。」そんな冗談を言いながら採血する父を見下ろしました。
「ほんまやで。けど、お前の血よりワシの血の方が色が濃いやろ。」父は後ろを向きながらハハハっと空笑いをしながら血を抜かれていました。
私はこの血液がガンで侵されてるんだなあっと試験管に流れる父の血液をじっと見つめながら思ったのです。
抗ガン剤では、副作用で髪は抜け落ちましたが、食欲は落ちることなく1カ月で退院出来たのが救いでした。
退院後は月1回血液検査をして貧血とクレアチン、Mタンパクの数値、白血球の数値を経過観察することが5年間続きました。
貧血の数値は5g/dlになると輸血がされ、白血球の数値が恐ろしく増加すると再入院して投薬治療がほどこされるのです。
でも、治療が終わると比較的普通の生活が送れているのを見るとホッとしたものです。
5年間でいったいどのくらいの血液検査をしたことでしょう。
父の腕は血液検査の痕が薄紫になって点々と残っていました。

血液のガンは母が闘病しているときからジワジワと父の体を蝕んでいたのです。
あの日、久しぶりに受けた血液検査でこんな恐ろしい病気が見つかるなんて誰も思いませんでした。
体に不調があったわけでもなく、いつもの定期検診に行ってあれよあれよという間に、ガン患者になった父。
闘病の後半は骨が折れやすくなったり、白血球の数値は測定不能状態にまでなり、最終的に腎不全をおこしてしまったのです。
元気で海外を飛び回っていた父は5年間の闘病生活を経て母の元に旅立ちました。
血液検査で思わぬ大きな病気が見つかるのです。
私も1年に1回血液検査をしています。
結果が出るまではドキドキします。
でも、結果が良ければ1年間ありがとうという思いで、今年も健康診断を受けようかと思っています。